感じが出る。

人生に悩んでいたころ、というか今でも悩んでいるわけではあるけど、某私立K大学の通信教育部に登録したことがあった。あれはもう1度人生をやり直したかったのかもしれないな。30歳になったけれど、仕事では評価されず、自分に向いているとも思えず、別の人生を夢見ていたのだと思う。そんな勇気は結局出せなかったけど。
文学部だったから社会について何も学ばないまま卒業し、仕事についてもあまり考えないまま会社に入ったことを少し後悔し、でも定職を捨てて学生に戻る決断もできなかったから、通信教育にしてみたのだ。自費で健康診断を受け学費も納入したが、その教科書の内容の古さと講義の退屈さにいっぺんで絶望し、あっという間に挫折した。大教室で聴く講演会みたいなスクーリングにもがっかりしたなあ。大学の通信教育が、基本的には大卒の資格がどうしても欲しい人たちのためのものだということに気が付いていなかったのだろうな。それでも、その時ほとんど開かないままだった古色蒼然とした教科書を捨てられずにいるので、とりあえず通勤時間に一通り読んでから捨てることにする。
お金を無駄遣いした自分への戒めとして。

その第1冊が今は亡き平井新教授の「社会思想」
初版が昭和24年だから、文体と内容の古さがほとんど歴史的といってもいいくらい。これを現代に教科書として使おうという現役教授の気持ちがさっぱりわからん。辟易しながら読んだら、あまりに脱力してしまった、というか笑える一節があったので残す。

『・・・これらの人々の群が今日のプロレタリヤである。
我國では勞働者階級とか無産階級とかの譯語が當てられているが、どちらでも結構であるが、プロレタリヤと原語のまゝで使つた方が、却つて感じが出るように思われる。』

まさかに。感じが出るのね!
どんな顔して教科書にこのくだりを書かれたのか?平井教授に聞いてみたい。
確かにね、喫茶店よりカフェ、ミルクコーヒーよりカフェオレとかカプチーノとかの方が感じが出るのよね。てな女子的会話の原点がここにある。やうな気がする。嗚呼
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by happynap | 2016-01-02 14:24
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